足利義教は

足利義教あしかがよしのり、応永元年6月14日-嘉吉元年6月24日は、室町幕府第6代将軍。

3代将軍足利義満の3男。

母は安芸法眼の娘藤原慶子で4代将軍義持の同母弟。

当初出家しており「義円」と呼ばれていたが、家督を継ぐにあたり還俗し「義宣」と称したものの、「世を偲ぶ」につながることから改名を決意し朝廷から贈られた「義敏」という名を蹴って「義教」と名乗った。

官位は従一位左大臣、贈太政大臣。足利幕府将軍の家督相続者以外の子として、慣例により仏門に入って「義円」と名乗り青蓮院門跡となった。

その後百五十三代天台座主となり、『天台開闢以来の逸材』と呼ばれ将来を嘱望されていた。

応永32年、兄の4代将軍足利義持の子である5代将軍足利義量が急逝し、義持も正長元年に重病に陥った。

義持が後継者の指名を拒否したため、群臣達の評議のが行われた。
update:2010年07月14日